隠れ家的日々語り

人生、いろいろ。毎日、いろいろ。

ある程度以上近くで撮影された自分を見るとき

静止画はだいぶ耐性ついてきたけど、動画を直視するのが実はかなり厳しい。

 

もうこれは有り体に言うしかないんだけど、自分の動きが嫌いなのだ。

顔なら表情筋の使い方や喋る中身とタイミング、体なら四肢の動かし方などなど、見るにつれ共感性羞恥の極みみたいなもので。

静止画もそう言うのがわかるやつは抹消したいくらいだ。

 

慣れではなかった気がする。

なんせ、数年前まではそんなに嫌ではなかった。

見てるうちにアレルギーのように悪化してきたのだ。

 

実は原因には心当たりがある。

子供の頃、精神年齢10歳くらいの叔母(50代)が私にいたって無邪気な笑顔を向けてくれたのだけど、とにかくそれが、その意味に関係なく怖かった。

頭で意味をわかっていても、視界に入ると怖いものを知ってしまったというか…。

それがたまに自分と重なる。

 

自分が年齢的にだんだん近づいてきて、なんなら容姿も似てきて、さらに動きにも違和感があって、まだかろうじて許されていることに甘える違和感と非合理の権化、みたいな。

 

もしかしたら、そのうち周りの目も避けるようになるかもしれない。

 

単に自意識が年甲斐もなく暴走している一環なのだけど、これのせいで見るべきものを見られず、感じるべきものを感じられず、だんだんと先は閉じていくのだろうというのもわかっているから、見ないことで自分を肯定もできないのが、一番困ったところ。